冷電気を探して。

目の前にあるものが宇宙です。空だけじゃない。

笑われた

はあ、つら。

愚痴ろ

 

 

「陰口をたたくなんて陰湿だ」

「卑怯だ」

とは思うけど

 

本人には言いたくない。

彼も疲れているだろうから、ゆっくりしているのを邪魔したくはない。

攻撃したいんじゃないんだよ。

感情をぶつけて発散したいだけだ、憎んでない。

 私もこのまま我慢するとなんか風邪ひきそうだから

(実際いま、ちょっと倦怠感あるし)

どこかで吐き出さなくてはなるまい

すまぬ、友よ。

 

 

笑われた。

「お前の信じているものは、事実無根のでたらめだ。

頼むから、人に迷惑のかかるようなことや

人の道を外れるようなことはよしてくれ。

長い付き合いだったけど、まさかあんなうそを真に受けるなんて、

本音を言うと少し失望したよ。

何を信じるか、もっとよく考えてほしい。」

 

とね。

 

だが、どうしてそういう過程をたどったのか

なぜ、そういう結論に至ったのか、

教えてほしいとは言われなかったし、そういう話さえ

今は聞きたくないという顔をしていた。

 

私の思考回路は、あまり論理的ではない。

自分の、強く信じているものを否定されたとき、

とっさの反論は何も出てこない。

説明できない。

頭の中では、言葉で考えていないから

火を見るよりも明らかだと思っていたことも

他人からは、考えすぎだといわれたり

根拠が不十分だと思われたりする。

理解できない、と。

 

そうなると、自分でも今まで

何の上に立っていたのかわからなくなる。

何を正しいことだと信じてきたのかわからなくなる。

(だから体調を崩した。)

私の考えをゆっくりとでもいいから聞き出したい、といってくれていたら

私が饒舌になる瞬間を許してくれたなら、どんなにうれしかったか。

彼はそんなことには興味がなかったらしい。

自分の思う以上の事情などありはしない、もしくはあったとしても大したことはありえないと、どこかで思っていたのか。

 

はっきり言ってしまおう

私は、彼の振る舞いが不愉快だった。

さんざん馬鹿にするだけ馬鹿にして、

最後には、

「これは押し付けではない

ぼくのいうことも真に受けちゃいけない」とか言って

ドアを閉めた。

嫌いだった。

友達なのに。

聞く耳を持たないというのが、気に食わなかった。

 

彼の心も、不安定なのだろうか。

 

私も聞く耳を持たなかったのだと思う。頑固だから。

それでも、自分の甘さに落胆し、信条を見失いかけた。

 

私の根幹を踏みにじっておきながら、それでもお前は笑っていたのだということを

気づいてほしかったが、もういい。私が教えるわけにはいかない。

忘れるしかない。怒りを鎮めるしかない。

 

一度殴りたい、貴様は軽率すぎた。

私を、低俗な連中と一緒に見ているのか。

私が情弱だと、リテラシーのない奴だと思われていたのか。

 

騙されているのはどちらなのか。

 

何も知らずに、当たり前だとされることを当たり前のようにして生きていれば苦労はないさ

でも私はそこにむなしさを感じる。

 

一度疑うことを知ったらもう信じることはできない、もう戻ってこれない。

あいつにはわからないだろう。

わかるはずがない。

この孤独の道を、誰よりも早くから、幼いころから歩み続けてきた。

私の終わりの時もきっと同じだ。

 

年が近いからって

堕落した精神のやつと付き合うのは楽じゃない

話はできるけれど

目的は共有できない

さみしい

 

期待を捨てるしかない。

Magnetic Current マグネティックカレント 日本語訳#1

Magnetic Current By ED Leedskalnin ,Rock Gate 1945

 

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あなたが東を向いたときにこの文書、およびあなたが読んだすべてのMagnetic Currentの記述が整います。きっとあなたの電気に改善をもたらすでしょう。

これは私がロックゲートで2年間実験をした結果です。

ロックゲート:フロリダのマイアミから南西に17マイル。西経80-81度、北緯25-26度。

 

2ページ

まず、磁石とは何か、磁気とは何か説明しましょう。棒磁石、U字型磁石、球体の磁石、いろいろな形のアルニコ磁石を見たことがあるでしょう。アルニコ磁石はたいてい真ん中に穴が開いています。

すべての磁石に於いて、一方の端はN極でもう一方はS極であり、終端のないものは、一方の面がN極で反対側がS極です。

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さて、球体の磁石について。もし、強力な他の磁石をお持ちなら、球体の磁石の極性を任意に変えることも、あるいは、磁極を取り除いてしまうこともできます。そうなってしまえば、もう磁石ではなくなってしまいます。

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このことから、その金属の磁石は極性を変えたり、磁力を強くしたりすることができ、また、その金属はほんとうの磁石ではないということが理解できます。ほんとうの磁石は、その金属の中を循環する実体なのです。

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その実体のそれぞれの粒子は磁気の素(Individual Magnet)そのものです。

S極とN極それぞれの磁気があります。それらはとても小さく、あらゆるものを容易にすり抜けます。実際、真空中に比べて金属中をより容易にすり抜けます。

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3ページ

それらの動きは一定です。それらは、一方の磁気とはいつも反対に動きます。もし、正しく操作するなら、それらは永久運動する力(Perpetual Power)を持ちます。

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磁気は宇宙的な力です。それらは共に、地球や、すべてのものを支配しています。

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NとSの磁気それぞれの強さは等しく、ひとつひとつの強さは全く強くないので、実際には大変な数の粒子が磁気を形作ります。

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永久磁石に於いては、非常にたくさんの磁気が金属中を循環していて、それらは一方の極を出て周回し、他方の終端から元の場所に帰ってきて、また、それを繰り返します。すべての磁気が必ず周回するわけではなくて、あるものは出て行ったきり帰って来ず、そこには代わりのものが新しく入ってきます。

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3-1

地球そのものはとても大きな磁石です。

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一般に、金属の磁石と同じように北極と南極を磁気の素が周回しています。北(N極)の磁気の素が、地球の南極から出てきて外側を周回し、地球の北極へ帰っていきます。また、南(S極)の磁気の素は地球の北極から出てきて周回し、南極へ帰っていき元の場所へ還ります。NとSの磁気の素はそれぞれまた最初に戻り、これを繰り返します。

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棒状の永久磁石では、磁極の間に、磁気の出入りのないニュートラルな場所が存在します。地球の場合、磁気の出入りのない場所は存在しませんが、赤道上に比べて極地は磁気の出入りがずっと強くなります。

 

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*私の現在地は磁極から遠く離れているので、すべての磁石はここを通り抜ける壮大な磁気の素の流れに誘導されます。

 

*大雑把に見積もって、地球の南磁極は、地球の北磁極が置かれているのと同じ子午線から西に260マイルずれていて、これが原因となって磁気は北東と南西の方向に流れています。

 

 

 4ページ

さあ、材料を準備してください。私のいったことをあなたは自分で実験して確かめることができます。

  • 10cmの永久棒磁石
  • 5から10kgほどの重さを持ち上げられるくらいの強いU字型磁石
  • 7cm長さ、6cmと2.5cmの幅の、真ん中と磁極に穴の開いているアルニコ磁石
  • ある程度の長さの硬質の鉄の細い針金、コイル状ではなく真っ直ぐなものがよい
  • 1m長さ、3mm太さの溶接棒または軟質の鉄

針金と溶接棒からは磁石、またはコンパスを作ることができます。細いひもで真ん中を吊るしてそのままにしておくと永久磁石になります。

U字型磁石を使って溶接棒に磁極を作るとき、S極を作るときにはU字型磁石のN極を使い、またN極を作るときにはS極を使います。このとき、溶接棒の端に磁石を固定してください、棒の中間に磁石を近づけてはいけません。 

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中間に磁石を付けてしまうと、そこに新たな磁極ができてしまい、磁気の周回を妨げることになります。中間に磁極ができているかどうかのテストには砂鉄を使用し、もし磁極ができているならばそこに砂鉄がくっつきます。それから永久磁石を溶接棒に近づけ、それを取り除きます。

溶接棒から磁極を取り除くときは永久磁石の溶接棒の磁極と同じ側の磁極を、近づけるか、あるいはくっつけることで消失させることができます。砂鉄でテストすると、効果が目に見えてわかるでしょう。

  • U字型磁石の幅に合うように針金を切ったものを3本用意する
  • その三本をU字型磁石の両極に一度くっつけて、取り外す
  • そのうちの一本の真ん中を細い糸でくくり、あらゆる磁石や金属を取り除いた部屋の東側に吊るしておく

永久磁石を一つ持っていれば、他の磁石やコンパスの極性を調べることができます。蜘蛛の糸を使えば、より繊細に扱うことができます。

砂鉄を使えば磁力の強さがわかります。 

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5ページ

  • 吊るした磁石の60cmはなれた西側にU字型磁石を置く
  • 吊るした磁石と水平にU字型磁石のN極を向ける。このとき、吊った磁石のS極がこちらを向き、N極はそっぽを向くように動く
  • 今度はU字型磁石のS極側を吊るした磁石と水平におくと、N極がこちらを向き、S極が遠ざかるのがわかる

以上の実験から二つのことがいえます。

  1. 磁極は真っ直ぐに磁気を発している。
  2. 磁気の流れを向けると反対の磁極の流れがこちらに帰ってくる。

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  •  針金を2本用意しU字型磁石にくっつけ、少ししたら離す。片方の端を少し後ろに曲げて吊るす。
  • N側の一方はS極が下を向くように、S側の他方はN極が下を向くようにして吊るす
  • 互いに7cm離して吊るす
  • 7cmの棒磁石をS極が北を向くように、N極が南を向くようにおく
  • 棒磁石をゆっくりと持ち上げ、吊り磁石に近づける。吊り磁石は互いの終端が引き合うように動くのがわかる。
  • 今度は逆に、棒磁石のS極を南に、N極を北に向けて近づける。すると吊り磁石は互いに遠ざかる。

以上の実験から、S極とN極の磁力の強さは同じであること、磁気の素の流れは互いに逆行して周回していることがわかります。

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6ページ

  •  ブリキ缶を5cm幅、30cm長さに切った細長い切れを用意する。
  • U字型磁石のN極を切れの端にくっつけ、砂鉄に切れの下側をつける。どれぐらい持ち上がるか見る。
  • 次は切れの端をS極にくっつけて同じように砂鉄につけ、どれぐらい持ち上がるか見る。
  • 何度か交代してみる。そうすると、S極よりもN極のほうが砂鉄をより持ち上げられるのがわかる。

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  • 今度は砂鉄の入ったお盆に下からN極を近づけて、どれぐらい盛り上がるか見る。
  • 交代してS極を近づけ、砂鉄の盛り上がりを見る。
  • 何度かやるとN極よりもS極のほうがより砂鉄を押し上げられるのがわかる。

以上の実験から、上下を均すと両方の磁極が同じ強さであることがわかります。

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  • 1m長さの先ほど磁化された溶接棒をとり、細い糸で水平に吊るす
  • メジャーで測るとS極側がより長いことがわかるでしょう

いま私は西経80度、北緯25度のロックゲートにいるので、1mの溶接棒だとS極側が大まかに1.6mm長くなります。ここから北上すると、この実験はよりS極が長くなります。しかし、赤道上では両方が等しい長さになるはずです。逆に、南半球に行けばN極が長くなります。

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7ページ

私の吊り磁石やコンパスはすべて、地球の磁極や地理的な極を指すことはありません。 彼らは少し北東を指しています。 そのようになるのを私が理解できる唯一の理由は、同じ地理的子午線から見て、北の磁極が上にあり、南の磁極がそれから西経115度にあるということです。 大まかな見積もりでは、地球の南磁極は、地球の北磁極が存在する同じ子午線から西に260マイル離れています。これが原因となって、磁石は北東と南西の方向に向きます。

私の所在は極地から遠く離れているので、コンパスはすべて磁気の素の壮大な流れに導かれて向きを変えます。

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onthesea.hatenablog.com

 

Magnetic Current マグネティックカレント 日本語訳#3

Magnetic Current マグネティックカレント 日本語訳#4

Magnetic Current マグネティックカレント 日本語訳#5

「エネルギーの大砲」 川の蛇行とトラウトタービン

ビクトル・シャウベルガーの発明した、トラウトタービン。

トラウトとはおそらく魚のマスのことだが、彼についていくらか知っている人なら彼のマスにまつわるエピソードを知っていることだろう。

森の中を歩いているときにふと目にしたマスが、滝を泳いで登っていく様に心を奪われ、水の研究をするきっかけとなったという話である。自然に対する尊敬の念を込めて発電機にマスの名前を付けた。

複雑に螺旋を描いたパイプからなるこの装置を実際に見たことはない。そもそも、フリーエネルギーにまつわる不思議な装置をこの目で見たことはいまだにないのだが、できることならぜひお目にかかりたい。そんなことを思いながら、ネットに落ちている画像や、書籍の挿絵の写真などをじっくり見ていたりするのだが、ひとつ思ったことがあったのでここに記しておく。

 


 

www.kyobunsha.co.jp

アリック・バーソロミュー著の「自然は脈動する」の中に「エネルギーの大砲」という記述がある。

 

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図11-5 環境へのエネルギーの放出
川の湾曲部で縦方向の渦巻きが生じると、水温が下がって堆積物をけずり、栄養物を川の中に放出する。湾曲を過ぎて渦巻きの速度が落ちると、水は浅くなった川床で温まり、蓄えていた栄養と微量元素を沈降させ始める。その後、次の湾曲部で新しい渦巻きが逆方向に生じ始める直前に、エネルギーが環境に放出される。ヴィクトルはこれを「エネルギーの大砲」と呼んだ。川の調節方がまずければ、有害なエネルギーが放出される可能性もある。

川で生じる渦巻には三種類ある。もっとも重要なものは川の健康に関わり、川床で自然に生じる縦方向の渦巻きである。もっとも冷たい水のフィラメント(流れの筋)は川の中心に一番近いところに生じ、乱流の影響をもっとも受けにくく、動きはもっとも早く、外側の流れの筋を引っ張りながら進んでいく。外側の水の流れの筋は乱流を生み出して川床を沈泥のない状態に保ち、微量元素や栄養に満ち、純粋エネルギーを内部に蓄積し、これが縦方向の渦巻きが弱まるとき〔浅瀬の形成時〕に放出される。(ヴィクトルはこの放出を「エネルギーの大砲」と呼んだ。)

縦方向の渦巻きとは、川の進行方向と垂直な平面方向の回転を意味する。ドリルで地底を掘削するイメージが近いかもしれない。

 初めて読んだときは、ただ単に川の運搬物の堆積の話かと思っていたが、物々しいネーミングに少々引っかかった。ただ泥がたまるポイントに「エネルギーの大砲」なんて名前をつけるか?これはきっと発電機の参考になっているものかもしれない。

まず、引用には、渦巻の弱まるところで放出が起こると書いてあるが、図を見ると、回転方向の極性が入れ替わるところがそれにあたるらしい。右ねじの回転から左ねじへ、あるいは左ねじから右ねじへ、といった具合に。

 

それを意識してトラウトタービンの図を見てみると、あることに気づく。パイプの螺旋の方向と、器の底に据えたバッフル板の誘導に従って吸い上げられるであろう水の螺旋の方向が逆になっている。ここに言及した記述は見当たらなかったが、偶然ではなく回転方向の極性をわざと入れ替えているように感じる。

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トラウトタービン。複雑な造形の螺旋のパイプが円形に配置され、その中を水が循環してパイプでできたタービンを回す。パイプの先端から高圧で吹き出した水が外側の突起と干渉して回転する力を生み出す。吐き出された水は容器の底をバッフル板の誘導で渦を形成しながら中心に引き寄せられ、圧力の低下したタービンの中心へと吸い上げられていく。一定の回転数に達すると独りでに速度が上がっていくらしい。パイプは銅でできている。

 

それに、吸い上げられた水がパイプの中へ移行する、ちょうど極性の入れ替わるポイントに「真空領域」と説明がふられている。どこにも詳細はないが、特殊な領域であることを匂わせる。

 

回転の方向が変わることがそんな重要なことである筈はあるのか?

 

現行の物理学からするとまったく理解できないことであるだろうし、そもそも力学の世界観に住む私たちは疑問にも思わない。だが、物体の回転とフリーエネルギーには何か関りがあるらしい記述を目にした。私はこれを見てから、シャウベルガーの資料に目が留まった、といったところだ。

 

フリーエネルギー技術開発の特徴と種々相 ← トーションフィールド

フリーエネルギー技術開発の特徴と種々相 ← トーションフィールド(続き

 

印象に残っているのは、早坂秀雄と竹内栄の回転するコマを落下させたときに、角速度と回転方向に依存して落下速度が変化したという実験だ。ウィキペディアで見ると、実験結果は否定されたとあるけれど、詳細がわからない場合、マイケルソン、モーリーの実験とデイトン・ミラーのような裏話が出てこないとも限らない、という楽観的、懐疑的視点で見ることにする。

ちなみにトーションフィールドとは、回転にまつわる物理現象(トーション)が波として空間を伝播するという概念である。申し訳ないが、わたしもいまいちイメージがつかめていないので説明して差し上げることは今のところできない。どうも、球対象に拡散する電磁波とはまったく異なる性質を持つらしく、三角コーンの角を二つ突き合せたような、面対称な拡散の仕方をするようなのだ。まあ、もっと詳しいことは上のリンクに書いてあるのでどうぞ参考にしてください。(非常に助かっているサイトです。本当にありがとう!)

ただコマを回してもなにも観測できなかったが、落下させる、振動を与えるなど、螺旋の極性を持たせるように工夫すると異変が観測されるのだそう。

この、回転の逆の極性を突き合せることとトーションフィールドというものが反重力に深くかかわっているらしいのだが、まだはっきりとしたことは私はつかめていない。

 

 

反重力とフリーエネルギーに関して、弧理論という独特の考察を繰り出している(大変心強い存在感の)方がいらしたのでそちらのブログリンクも貼らせてもらいます。弧理論のΦさんです。

楕円磁場(楕円双極とも言い換えている)という言葉が出てくるが、もしかしたらトーションフィールドに当たるものをそう呼んでいるのではないかと個人的には見ている。

www.arktheory.com

 

また、「自然は脈動する」から引用する。

 エネルギーは必ず動きと結びついていることをこれまでに見てきた。水の自然な動きは、曲がりくねり、巻き込み、渦巻くものである。このような動きなしには極性は生じない。しかし極性が存在しなければ渦巻は生じないのだ。渦巻の作用を通じてリズムが生まれる。その脈動は、川が環境に対し呼吸するプロセスの入り口として機能するのだ。

 渦巻の脈動(極性の交互の入れ替わり)が川が環境からエネルギーを受け取る(呼吸する)入り口になっているという。

環境からエネルギーを受け取るとはZPEを取り出す、すなわちフリーエネルギーのことを言っているのであろう。トーションフィールドが何らかのものを伝達する際にゼロポイントエネルギーに作用しているのではないかと、安直だが、私はそう考えている。

 

極性がなければ反発はない、反発がなければ動きはない、動きがなければ命はない。

(ビクトル・シャウベルガー)

 

 

のどがからからのときに飲む水のようにさわやかな

帰ってきました。やっと

やっと下宿先に帰ってきました。うほほい

 

あのね

ぼくは実家が嫌いなんです。

年末に帰って来いと言われて、はい。と抵抗することができずに帰省しました。

で、帰ったら兄弟は誰もいなくて

「え?兄貴たちは?」

「コロナ移したらいけないからって言って自粛してるわよ」

「(えええええ、、、その口実は通用するんかいイイイ。おれもそういえばよかった。

 

ていうかなんで?

なんで関東の社会人は東北の実家に行くのは自粛するのに関西のおれには帰って来いっていうの?

いじめか?これはいじめか?)」

 

 

 

実家が嫌すぎて、親の干渉が嫌すぎて、人に会わな過ぎて、引きこもりすぎて

死ぬかと思った。

中学を卒業するとき、わざわざ寮制のある高校に進学した。

高校を卒業するときに親は

 

「確かに、あんたは、このまま家で生活してたらやばいことになるかなあと思った。だからあんな遠いところに行くのも許可したのよ。」

 

なんて言ってて、おおさすがよくわかってますねお母さん、って感じだったのに

いま、大学から実家に行って、下宿に帰りたいと言えば

 

「あなたが高校生の時の家族の時間を取り戻したいの」

 

とか言ってんの!

むりだから!!

戻らねえよそんなもん。

いいから早く帰せ。

 

もうほんとに、、。

家族のことを憎んでるとか恨みがあるとかじゃなくて、感謝しなきゃいけないなとか親をやるのも大変なんだよなとか、子どもなりに気持ちを考えたりしてはいるんだけど、一緒にいたいなどとは思わない。

 

高校の寮生活をたくさん楽しんできた。

 

ぼくは小学生の時、中学生の時、あまり友達と遊べなかった。

もっとたくさん遊びたかった。

親はあまり遊びに外へ出してくれなかった。

もし親のきつい縛りがなかったとしても、みんなテレビゲームにばかり夢中だったから、満足に遊ぶことはできなかったかもしれないけれど、でもきっとその反動で、家の外へ外へと意識が向いてしまったのだろう。

うちの親はゲーム機器や携帯電話を買い与えなかったし、うちにテレビはなかった。

これははじめは嫌だなと思っていたけれど、大きくなるにつれ理解して、そして今では感謝している。だから、友達とゲームをして遊んでも、あまり晴れやかな気持ちにはならなかった。

 

それが、高校の寮ときたら、

動画再生機能付きのオーディオプレイヤーは持ち込み禁止です。

ゲーム機器類は持ち込み禁止です。携帯電話やノートパソコンなどの

通信機器は持ち込み禁止です。

と、スマホ世代からは、古臭い、頑固おやじとでも言われそうなルール付きだった。

 

これは良かったと思う。そういう縛られた環境では、子どもたちはどう遊ぶか工夫して頭を使うからだ。

これはほんとうに楽しい。

 

同じように実家で居心地の悪い思いをしてきた友達とも、とても仲良くなったし

いろいろな話をした。

 

そういう経験を積んできたから、自分にとってはもう親は直接何もしてくれなくても

いい。とにかく余計に干渉しないでほしい、と思ってきた。

 

一人暮らしだったり、寮生活だったりのほうが実家にいるより比べ物にならないほど健やかに暮らせるんです。

 

 

 

ZPE ゼロポイントエネルギー

フリーエネルギーの別の名前としてゼロポイントエネルギーという語が使われることがある。ゼロポイントエネルギーはフリーエネルギーと同義ではない。

フリーエネルギーという語はおそらく、無尽蔵のエネルギーを自給することができるという思想や概念をひとくくりに言ったものだと思う。とはいえ、太陽電池や風車による発電、環境資源を捕まえて発電することはこれにはあまり入らないのではないか。例外なく現代物理にとっては未知の媒質の効果によってエネルギーが供給されているものだ。

一方で、ゼロポイントエネルギーという言葉は、実はWikipediaに載っている事柄である。

零点エネルギー - Wikipedia

これは一部、公式の物理学で認められているものだ。名前の由来としては、絶対零度の粒子にみられるエネルギー、といったところだろうか。

絶対零度 - Wikipedia

絶対零度では分子の熱振動が止まる。というか逆に、温度というものは粒子の熱振動を基に決められているらしい。だから、振動がとまったところ、止まるであろう振動のグラフの収束点を絶対零度としているのだが、実際にその温度を観察したときに振動は止まらなかった、ということなのだろう。このときに粒子にあらわれていたエネルギーをゼロポイントエネルギーと名付けたのだ。

 

このゼロポイントエネルギーは、核エネルギーよりもエネルギーの密度がずっと高いのだそう。1キログラムの質量を核エネルギーに換算すると8*10の16乗ジュールという数字になる。よくわからん。一方で、ゼロポイントエネルギーの方は握りこぶしほどの空間に地上の水すべて沸騰させるエネルギーがあるという記述を目にしたが、これを真に受けると、2*10の27乗ジュールということになるらしい。すごそう。

16乗と27乗では桁が11個違う、恐ろしい。1キログラムと握りこぶしで若干比較が違うけど、桁が10も外れるような差ではない。エネルギー密度が違うというのはこのことだ。

この、ゼロポイントエネルギーをどうにかして抽出し、利用しようというのがフリーエネルギーなのである。これこそがフリーエネルギーなのである。

もちろんのことながら、公式の科学会ではフリーエネルギーなど認められていないということは、ゼロポイントエネルギーの存在を確認したとしても、それを利用することは到底不可能だといっているということなわけだが、いろいろ議論が巻き起こっているらしい。

 

エネルギーが存在することと、それが利用可能かは確かに別問題だ。

熱力学の第一法則としてエネルギー保存の法則があるが、これは仕切られた領域内での全エネルギー量は、出たり入ったりしなければ変化しないというものである。当たり前といえば当たり前の話だ。

エネルギーは増えたり減ったりしない、それならばなぜエネルギー問題と銘打ってエネルギーが枯渇するなどと言っているのか。それは利用可能なエネルギーがどんどん利用不可能なエネルギーに変わっていっている、使ってしまった分のエネルギーを再生することができないというところが問題になっているからである。

第一法則に続いて第二法則にエントロピー増大の法則というのがあるが、これも話としては大事な存在だ。何を言わんとしているかというと、覆水盆に返らずといったところか。エントロピーとは無秩序の度合いのことだが、例えばコーヒーとミルクがあったなら、コーヒーとミルクが別々に安定して存在しているのが秩序があるということで、この二つは合わせてしまうと混ざり合ってミルクコーヒーになってしまう。二つが混ざり合って一つになった液体は、無秩序と言い表される。

無秩序の度合いが増大する法則というのはつまり、コーヒーとミルクが混ざり合うことはあってもミルクコーヒーがコーヒーとミルクに分かれることはないということを法則として言っている。先のエネルギーの話で言えば、利用可能なエネルギーが利用不可能なエネルギーになることはあっても、使ったエネルギーはもうもとには戻ってこないというところだろう。なんとも絶望的な法則だ。死んだ者は生き返らない。

 

ここで、フリーエネルギーはこの第二法則に異を唱える。エネルギーは再生可能だ。

私の提案だが、私たちの生活に欠かせない、水を考えてみよう。毎日毎日、水を飲んでは、おしっことして(今ではトイレに流しているが)土や海に還す。大地に還った水は、蒸発して空を漂い、雨になって川を流れる。あるいは地下水となり、土中でろ過されて、私たちはこれらをまたきれいな水として利用できる。水は循環している。

覆水盆に返らずと先に出したが、なんてことなく元の盆に水が返ってきているのだ、大地の力を通して。

水の利用量が大きくなっても、浄水装置を家庭に置けば、水資源は自給できるということになる。浄化したい水は海や川や湖、雨水のタンクから持ってきてもいいだろう。

これはエネルギーにも適用できる構造なのではないか、と思った。

空間に発散された熱エネルギーや、ゼロポイントエネルギーを何らかの方法で”浄化”できれば、私たちはエネルギーを自給できる。もっとも、水にしてもエネルギーにしても、大地の浄化システムが追い付かないほどに無駄遣いしている現状もまた問題だと思わないでもない。私はバカみたいな使い方をしておきながら、足りない足りないと泣き喚くことが許されることだとは思っていない。が、その話は一旦置いておく。

ゼロポイントエネルギーを捕まえて、利用可能なエネルギーとして抽出するのがフリーエネルギーの技術的な概要である。イメージとしては、広大な海の水を飲み水に変えるために浄化するようなものである。

だが、具体的に何に対してどのように働きかけることが重要なのか、またそれはどうしてなのかということは、私はあまりしっかりとはわかっていない。

家の前の林が消えました。さみしい

地球温暖化

近頃、毎年夏の最高気温を更新している気がする

冬もめちゃくちゃ寒くなったような気がする、年齢のせい?まさか

高校の時、環境問題研究部なんていうのがいて、そこでも

毎年気温が上がっていますみたいなグラフを作って貼りだしたりしてたなあ

温暖化なのか?

 

私は地球温暖化はあまり信じていない

二酸化炭素が増えたせい?

やっぱり酸素が減っているっていう話のほうを信じるかな。

(メインストリームで流行っているものに乗るべきではない)

まあ、空気は見えないしよくわからないし調べてもいないから

否定も肯定もできないというところで

別の話をさせてもらいます。

 

森林伐採です。目に見えてわかる問題でしょう?

今は確かに、森林を除去して利用土地を拡大する需要はある

道路の工事だってうちの近くでも毎年やってて、ずいぶん見栄えが変わってしまった。

どんどん森や林が消えていく。知らぬ間に増えている森もあるのかもしれないが

人間の今の開発に追いつけるはずもない

 

 

むきだしの大地が増えるとどうなるのか

大体想像がつくと思う

砂漠の気候に近づくのだ

寒暖の差が激しくなり、生き物の繁栄に適さない土地になる

砂漠といえば、昼間は4,50度になりながら夜は零下になると聞いたことがある

こんなところではマトモに暮らせないだろう

激しい寒暖の差に湿潤の気候が合わさればそれは毎日が嵐のようになるかもしれない

そういうことだ

異常気象は私たちが自らの手で引き金を引いている

それをやめさえすればいいのだが、これが難しい

拝金主義は一切そんなものは気に留めない

気に留めないどころか、そういった大衆の不安さえ利用して

間違った現状認識をそこに植え付け、新しい取引市場を生み出す始末。

もはや何と言っていいかわからない

 

これらのひねくれた現状を認識し、その根性をひっぱたいて矯正できるほどに

我々が賢くならないことには終わりも近い。

 

 

 

地元の家の前に、豊かな森がありました。両親はそこがいいと言って家を建てて、森のふちに暮らしていたんです。ぼくが生まれたときからずっとあったその森はきっと、毎日見かけていたリスや、毎晩ご飯を探しに来るタヌキや、雪の上に足跡を残していくウサギや、どこからともなくきこえてくるキツツキたちの、大切な住処だったはずなんです。ぼくも、彼らを見かけては嬉しくなりながら小学校に通っていたのですが、ある日、その森の木が全部切り倒されてしまうことになりました。

森ってとても不思議だなと思っていたのを覚えています。夜に庭に出ると、森の中には深い闇があってとても怖かった。お化けが出てくるかもしれない。でも、昼間になるとやさしい顔が出てくる。大きくて立派な木。なくして気づく、森という存在の温かさよ。夜遅くまで外にいたらだめだよ、早くお家の中へはいりなさい、と大きな木に言われていたような気にもなるものです。

その森が、木を切られ、何年かの荒れ地の期間をまたいでついにはメガソーラーが据えられることになってしまった。一体何をしてるんだ?大切な木を根こそぎ掘り返して、均した土地にソーラーを据えるだと。どうかしてる。

再生可能エネルギーや、環境にやさしいなどの売り文句でちやほやされているソーラーパネルが、森を虐待しているように見えたんです。

森がなくなることにこんなに目くじらを立てる子どもっていうのはもしかして珍しいのかな。ぼくはナウシカを読んでいたから、ぼくだけがそういう自然保護の話に、にわかながらも首を突っ込んでしまっているのかと思ってしまいます。こんなに怒っているのはもしかしてぼくがおかしいからなのかな?って。

さみしい気持ちと、怒りと、どこにぶつけたらいいのかわからなくて

ずいぶん悩みました。

きっと、このブログに書き込んだり、他の場所でこぼしたりしながら

発散してるのかなって思います。

これからもずっと続くのかもしれません。

なんとかして、ずっとあとで子どもたちが泣いたりしないように

暴力や破壊を少しでも減らしていけたらいいなと願って。

生き方を模索しています。

私の中の無意識

お風呂に入っている時などに

ふと独り言をつぶやいているときがある。

ときに、自分の言ったことにハッとし

新しい気付きを得ることもある。不思議なものだ

 

電磁気学というものは多分に神秘を孕んでいる

 だが、その多くは過去の歴史の中で様々に学問を誤ったことによって

 大きな壁が築かれ、暗闇の中に眠ってしまった。

 さて、現在の電磁気学学校で教鞭をとっている教授たちはその神秘の部分は何も

 教えてはくれないし、本当に退屈そうに授業をする。

 彼らは一体何に目を輝かせ、何に生きがいを感じているのだろうか。

 その片鱗をわずかでも見ないことには私には到底この味気の欠片もない世界を

 退屈に耐えながら歩んでいくのは苦しすぎる。

 

というようなことをつぶやいていた。

太字で強調した部分をいくらか反芻し、しみじみと実感したものだった。

 

教授の退屈な感情に同調し、何にもおもしろみを感じなくなってしまうのかもしれない。

本当に、すべて自分自身で学び取るつもりがないといけないのだろうか。

 

 

やれることをやってみるか。