一匹の虫
創価学会の会合に呼ばれて行った。
宗教をしている人たちって、純真故にかバカにされ弾かれ者になってまともに話を聞いてもらえなかったりしていそうだから、ぼくはまずは彼らの話は素直に聞こうと思っている。話半ばに腰を折られる悲しさよ。宗教それぞれのあり方について知るのもおもしろいし。まあそんなんで、誘われるまま入っていった。
じいさんばあさん、年寄り、町内会、そんな雰囲気でワイワイと楽しげに迎えてくれた。
コーヒー飲めないって言ってんのにコーヒーくれたり、お腹いっぱいなのにもっと食べなさいとおにぎりを持たされたりした。年寄りあるあるしんどい。
東京の本部で、学生会員たちが生き生きと
🧑🎓「自分は幸せです。これからも未来を築く人材となって世に羽ばたいていきます。」
と目を輝かせて演説するさまをビデオで見せられた。今どきそんな志を持てるやつがいたのかと、温度差を感じると同時に、救世を愚かながら志した昔の自分を思い出し、物悲しくなった。あれっ、今のご時世ってなんかみんなため息吐いてるものじゃない?おれの周りだけ?
夢のなかで死んでゆくか、あるいは、虚しさに目を醒まし、挫折を踏み越えて生きてゆくか。
詳しくはまだ知らんが、仏壇のご本尊の前でお教を唱えることを日課とし、目標を自身の中で確かにして自己実現へ邁進するという、そういう共同体らしい。ミクロな視点ではね。
🧑🦳「きっとお兄さんの目標も叶えることができますよ、ここにいればみんなといっしょにくじけずがんばることができます。」
唐突に連れてこられて夢がなんだと言われてもね。
っていうか、目標とかないし。自己実現とかどうでもいいし。
ありがたくお茶と皆さんの夢のお話だけ頂戴することにするよ。
「目標を持つことって、果たして良いことなんだろうか。」
前の仕事でそう思ったことがあった。
あるとき工務店をしている人に長話を食らったことがあった。
上を目指しなさい、時間は限られてる、違うなと思うなら早く別のところへ移っていきなさい、もっと努力しなさい、いくつになっても勉強しなさい、アドバイスを聞き入れるかどうかは君次第だけどこうやって言ってもらえるだけありがたいと思いなさい。君もいい給料もらっていい女連れていい家に住みたいだろう?
だいたいこんな感じ。
長い。
その素晴らしい向上心には脱帽するけど、そんなにがんばって
そんなに急いで何がしたいんだ?彼らの本当に望むものとは?
平気な顔してあまりに盲目ではないか?そこに危うさを感じた。
これは狂気ではないか?
またあるとき友人に誘われて出掛けた。
テーマパークで楽しそうにまた一生懸命に踊るお兄さんお姉さん。間抜けなキャッチコピーと相まって、かえって虚しさを際立たせる。
「そうか、みんなここへ狂気を買いに来てるんだ。お金を払って、夢に溺れに来ているんだ。」
虚しさを拭えるならなんだってするだろう。あらゆる方向に頭をひねるだろう。
この狂気は。この熱は。
かつてのあらゆる悲劇を生んだのは、処理しきれぬ負の遺産を現在まで生み出し続けてきたのは、現在の世のあらゆる行き詰まりの元となったのは
この熱ではなかったか?
「昔は良かった。」
そう言いたい気持ちは痛いほどよくわかる。みなで団結して耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、みたいな。苦楽を共にし気にかけ合い、夢を語り合える生の人間がいることは、現在の世からしてどんなに救われる思いになれることか。
みなで見続けられる夢があった頃は。
しかし残念だ。そのような甘い露は長く吸い続けられるものではない。いずれ腹を壊す。そんな代物をまた新しい形に作り変えてはすがり続けて。
おれもまたお菓子やジュースの甘いもんが好きでナァ、
他人をとやかく言える口でないのは承知の上。
価値のあるとされるものを追い続けて、でもその価値って、人間が勝手に作ったものだろう?価値とか慈善とか希望とか目標とか言ってブラックボックスのままなのを忘れて、未来でその箱を開けた子どもたちはどんな顔してると思ってんだ。
👶「箱の外面と中身が全然違うじゃねえか…」
子どもたちはおろか虫たちや植物たちや宇宙から褒めてもらえるようなことなんて、誰もしたがらない。
そもそもそれがどんなことなのか知らない。(え?宇宙って褒めてくれんの?)
どうして。ぼくらは彼らの手助けなしには生きられないのに。これではこの惑星がいつまでも置き去りにされたままなんだ。
仕方ねえよ、狂気で経済が完結してるんだもの。
ぼくは一匹の虫になろう。
死んだ肉や腐敗物にかぶりつき、糞を垂れながら折り重なって死んでいって、
土を作る。
ずっと遠い未来になって
やがてその上に青葉が芽を出す。

自身について最近思うこと。
おひさしぶりです。「マグネティックカレント」最後がまだ出てなくてすみません。なかなかやる気が出なくて。
それはさておいて。
大学を中退して社会人になり、初めてのお仕事が電気工事士でした。現場のお仕事です。週6日勤務です。有給も取れません。
しんどくて、つい一昨日やめる決心ができました。ほんとはずっとやめたかったのに。
話も合わない、価値観も合わない、冗談もうまく返せない、性格も接し方も気の遣い方もあまり合っている気がしない、そんな人々と(自分の悩みや考え事興味関心さえをもひとりで解決、解消しながら)もうずっと長いこと付き合っていかなければならないかのようなそんな気がして、気が重くなって、いっそ死を以て逃亡を図ろうかとうっすら考えたりもしました。
自分の墓を掘ろうとしていました。
でも最近、先輩がアドバイスをくれました。
「続ければこの業界で食っていくことになるし食いはぐれることもないけど、それを望まないなら早く辞めたほうがいいぞ。おれもこの年で後悔することがある。」
すごく納得し、自分の辞めたいという気持ちを後ろめたく思っていたのが肯定的に見られるようになりました。それから先輩がそう言ってくれるならきっと今辞めたいと言っても認めてくれるだろうという安心感も感じました。
そうして、ではなんと言って社長に退職の話を切り出そうかとか、辞めたあとどんなことをしようかと考えていると、やりたいことがたくさん出てきて、久しぶりの明るい気持ちになって
「ああ、自分はこんなにもたくさんのことを諦めていたのか」と思いました。
中学を卒業して実家を出るときも、大学に受かって受験勉強から逃れられたときにも、大学のブッラクサークルから抜け出せたときにも、居候先から引っ越して一人部屋になったときにも、同じような開放感は今まで幾度となく味わってきたものでした。既視感、というやつ?
そして気づきました、おれはいつも自分の望みとか気持ちとか見失いがちで、いつの間にか墓穴を掘ってるんだな、そのたびに自分自身を掘り起こして助けるのがおれの人生なんだろうか。
少なくとも今まではそうでした。多分これからもそう。
もっと自由を求めていいんだぞと自分に言い聞かせて。
乗り越えていきたいね。おつかれ。