「お前の将来が心配だ」
突然そう言われて怒られました。責められました。
「おれはお前が心配で声をかけてやってるのに、お前は何もいうことを聞かないな」
当たり前でしょう。なに親切のつもりになってんだよ。
何が「心配で声をかけてやっている」だ、何様のつもりだ。
黙って人の話を聞くこともしないでただただ一方的に罵倒してくるくせに人のいうことを聞けってどんなわがままだよ。おれは召使かなにかか?
「やれ」といわれて素直にやるのが人間なら、人材育成に苦労なんかねえんだよ。
子どもに頭を下げることもせずにいると、子どもはそれが世界だと思ってしまって上の者に逆らわず、下のものに横暴になる。このことをよく実感してもらいたいものだ。
多くの子どもは礼儀を欠いた大人たちの振る舞いに腹を立てている。しかし、大人が子どもを支配するのが当たり前の世の中では、子どもが大人に腹を立てるなど傲慢だとされるために、子どもたちはその怒りを聞き入れてくれる者がいない。
知らなかった? 子どもも人間なんだよ。
誰か知らないけど言ってなかったっけ
「天は人の上に人をつくらず」
しかし、変に納得してしまって自分の気に入らないことを従順に受け入れる子もいる。
従順であることと素直であることは違う。自分の感情に素直な人は、自分の気に入らないことを自分で無視することはしない。自分が自分のことをないがしろにしてしまうと、そこから性格がいびつな形になっていく。
今こうしてぼくに上からものを押し付けてくる人々も、そうやって自分のことをないがしろにさせられてきた人だったかもしれない。それぞれに苦悩がある。
その複雑に絡まった糸をほどこうとするとすごく大変だ。
それで誰かがあきらめるように下の人に言う。
「めんどくさいな。もうこのままでよくね?絡まったままでも別に不都合はないじゃん?」
ふざけないでくれ。
「おれがお前に飯を食わせてやってる。」という脅し文句もよく聞く。
確かにそうだよ。食わせてもらえることは非常にありがたい。
「だからおれの言いなりになれ」とでも?
いやだね。
見返り欲しさに与えられる餌なんて美味しく頂けないわ。
親と子は対等な関係でなくてはならない。親が子の不満をないがしろにして、親の権力をふるうことは間違っている。義務教育とは、親は子どもの権利を保護する義務があるといっているであり、子どもに勉強を強いるのは間違った解釈からくる。
怒りの感情というのはこういうときに役に立つ。
感情の整理がうまくできてなくて誰彼構わず怒鳴り散らしたり、ずっとイライラしてるやつっていうのは本当に困ったものだが、自分の正当な権利が侵されたとき、怒りの感情はその敏感なセンサーになる。自分がなぜイライラしているのかしっかりと向き合ってみるといい。
この作文はぼくの怒りの発散だ。小さいころからのもやもやがやっと言葉にできるようになった。
発散すると気持ちがいいし、怒りを丁寧にぶつけて相手の理解が得られると人間関係もよりスムーズになる。冒頭の心配性のイライラしている人(兄)とも和解した。
とはいえ、父親は人の話を聞かないので何を言っても無駄だと思うから、もうガキのたわごとだと思って放っておくしかない。おれは器の広い人間だな(笑)。