少し栄えた町の、外れの林のそばに住んでいた。
親はゲームやテレビなどの喧しいものが嫌いだったし、私自身、親のその性質に強く影響され、そこのところがよく親に似てしまった。
母親は宮崎駿と久石譲の作品や、養老孟子や内田樹といった哲学者の書く評論が趣味だった。そのせいなのか、はたまた「風の谷のナウシカ」の影響なのか、私は自然崇拝的な環境保護論者の思想を持っていた。小さいながらに、どうにかしてこの汚染をまき散らす文明を森の中に引っ込めて太古の昔のようには暮らせないものかと思ったものだった。
そんなませた趣味を抱えた一方で
私は、中学生の時にアイアンマンにハマった。
戦闘機と互角のスピードで自由に空を飛び、手からは強力なビームが出てくる。全身が強い金属の鎧でできていて、弾丸を通さない。筋電信号を読み取って機械が動きをサポートする形で思いのままに怪力を出すことができる。
宣伝広告には「型破りなヒーロー」と銘打たれ、生身の人間がハイテクでもってスーパーパワーを手にするという、確かに型破りな設定のヒーローだった。
すごく憧れた。
年頃の男の子が夢見るスーパーパワー。力を誇示したかったのか?
何も知らない中学生は、これが最も現実に近い自分の夢だと思った。
特別製の蜘蛛に噛まれたり、架空の果実を食べて能力を手に入れるといったものより
遙かに努力でカバーできる範囲内だと思った(笑)
自由に空を飛べたらどんなにいいだろう、、、
ただその一心で、なにかポータブルで巨大な出力を出せる電池か、あるいは反応炉発電装置のようなものを(中学生にできる範囲で)あさりまくった。核融合とは何なのかとか、反物質とは何かとか、プラズマ推進とか、アストラTR-3Bとか調べたりした。
傍らでやりすぎ都市伝説とかも好きだったんだけど、関暁夫の話とか聞いてた。
そんな中で彼が、ニコラ・テスラという男の名を出した。全く知らない男だったが、小学生の時にあこがれていた、発明王トーマス・エジソンと同時代に生き、ライバルだったらしい。その彼の業績として、あくまで都市伝説としてだったが、紹介されたのがフリーエネルギーだった。
空間から無尽蔵のエネルギーを取り出し、また特殊な波動を使って輸送のロスなく全世界に電力を提供しようというのが彼のやろうとしていたところだった。
マッドサイエンティスト!!
物理学の法則に逆らって、何もないところからエネルギーを取り出す。そんなことをやった男がいただなんて。そのミステリアスな伝説に心惹かれた。アイアンマンを実現するには、この科学の抜け道をたどるしかないと思った。
そうしていろいろ調べて、磁石をうまく並べて永久に回り続けるモーターを作ろうとしたこともあったが、できなかった。理論なんかどこにもないし、正しいやり方だって誰も教えてくれない。インターネットにはガラクタ集めのブロガーか、詐欺的な動画投稿者がいるだけだった。
半信半疑だったけれども、なぜかあきらめなかった。
あの頃の関暁夫の言葉を思い出す。
「火のない所に煙は立たない」
存在しないものにここまで壮大な噂がたつことってあるのか?
高校に入ったとき、アマゾンでフリーエネルギーに関する書籍を買った。
www.hikaruland.co.jpあやしいあやしいヒカルランドだった(笑)
それでも書籍とあらば学べるものの一つや二つあるはずだ、と。
割と面白い本だった。上下あるのだが、上巻はテスラの時代の科学者たちや、物理学について、下巻はUFOや3,11人工地震など現代のオカルトチックなテーマで、なかなか濃い内容だった。中学生のころに「相対性理論てすごいな」と思いながらアインシュタインにあこがれた時期もあったが、上巻にて相対性理論は破綻しているという話を聞いた。まだここでしかその話を知らないものだから、事実かどうか確かめようがなかったが衝撃的だった。もし事実なら、科学雑誌に書かれていることは一体何なんだ?
そして、下巻である男を見かける。
ビクトル・シャウベルガーだ。
ナチスでリパルシンという空飛ぶ円盤を開発した男と書かれていたが、その装置はなんと水で動くのだそうだった。フリーエネルギーや反重力と言えば、複雑なコイルや電気回路、あるいは素粒子物理学を駆使したメカニズムのものばかり目についていたが、
は?! 水?!!
液体のしかも力学的運動で空飛ぶ円盤ができるなんてにわかには信じられなかった。いや、反重力なんてもの自体確証の得られたものではなかったが、彼のその斬新というか、ひときわ目を引くエピソードに惹かれ、いろいろと調べた。
ナチュラルサイエンティスト!!
インターネットで検索するともっと不思議だった。空飛ぶ円盤を開発するものだから、マッドサイエンティストだと思っていたら、自然崇拝的な思想が垣間見えた。
「謙虚な姿勢で自然の動きを観察し、よく真似れば、私たちは多くのことを学ぶことができる。しかし、それらを無視し、傲慢に振る舞い、略奪するような暮らしを続けている限り、私たちに未来はない。」
というようなことを言っていた。
フリーエネルギーなんて、取りつくせないほどのエネルギーを得ようという野蛮な欲望のもとに(どこか自然崇拝との矛盾を抱えながらも)探求を進めてきたのだけれど、ここにきてお坊さんのような、精神的にも賢い人が出てくるとは驚きだった。それこそ、原子力発電のように、有害な放射線をまき散らすようなテクノロジーだったとしても構わないと覚悟を決めて、暗黒の道に落ちていくつもりだったのになんとそこにはエコテクノロジーがあった。
これは運命だと思った。
そこから私の独自の宗教的思想が始まったのだ。尊敬する人はもちろんビクトル・シャウベルガー。彼を師と崇めた。
その思想の過程で
現代のあらゆる科学が間違っている。という結論に達した。
医療、物理学、精神科学、食(栄養学)、教育、農法、社会構造。
破壊活動は人心の荒廃をもたらし、依存的な薬物療法は何も解決しない。
人間性と知的好奇心に欠ける教育は、子どもたちの生きることへの渇望を損ない、破壊と依存をさらに助長する。
人間が生まれてきたことが間違いなのではなく
人間のしていることが間違っているのだ。
ただ、その罪を償う道のりは、決して楽なものではない。
何より、現在の多くの人がそのことを知らない。
この不正を正すために、まずは、多くの人の認識が必要であり、
医療や、食、社会構造、政治、メディアなどの不正を訴えて広めようとしている人が
たくさんいた。たくさんといっても絶対数は少ないからこそ困っているのだが、
それならば、と思って、私は物理学の不正を、見てわかる形にして皆に訴えてやろうじゃないかというところであった。
www.arktheory.com
陰謀論だ、といってばかにする人もいたけれど、それは私の説明能力がないせいだった。
知的好奇心を満たすのと、空を飛びたいという夢をかなえるのと、世の中を良くするために私はフリーエネルギーを探求する。
中央機構への依存に頼らざるを得ないエネルギー産業。そのトップダウン的構造を崩壊させる。
非依存、自治独立、小集団、多様性。
これを目指していきたいが、そう簡単にもいかない。法律と制度の下に生きているから、まずそこを変えねばならない。
うああ、やることいっぱいありすぎて困る。もっと楽に生きたいよ~。
私の思想は、生を肯定する。だからこそ私も自信をもって生きることができているのだが、人間は力の使い方次第で充分に大地や生き物たちを癒すことができる。この地上にそのような静かな楽園を築きたいと思っていたが、生きているうちにできるかどうかはわからない。遠い未来に、子どもたちの幸せな暮らしを支えることができたなら、それでも私は幸せである。