冷電気を探して。

目の前にあるものが宇宙です。空だけじゃない。

人間らしいですね。(人間らしさ)

人間よりも高次の存在、あるいは、神と呼べるような存在がいたとして、

彼らの内にあるドラマにもし触れることができたなら、私たちはそれを

「人間よりも人間らしい」と評するのではないか、と、ふと思った。

 

 

架空の物語に描かれる人格や、人形や石ころなどに私たちが投影する人格というのは、私たちがのっぺらぼうの無機物の上にお化粧をしているのではなく直接は見ることのできないその顔を、心の目とでもいうような、ある種の超感覚的知覚によって私たちの言葉で紡ぎだすものなのではないかと思う。

何が言いたいかというと、彼らの人格を決めているのは私たちではなく、私たちが生まれる前からその人格が存在していたのではないかというところなのだが、うーん、ただの妄想かもしれない。

 

人格は人以外の者にははっきりとみられなかったからこそ「人格」と言われるゆえんだが、素なる粒子から始まって、石ころや植物、魚や動物たちにも、人格というのは存在するのではないかと思う。

そう、石ころや人形にも。

 

そうして、動物たちよりも高次の人格を持つ私たち人間がいて、その延長線をたどり、私たちより高次の存在がいたなら、きっと、「人間よりも人間らしい」のかなあと、そういう考えだった。

 

 

きっとこの人格は、宇宙の始まりから存在していたもので、それが私たち一人一人に宿り、わからないけれど何かでつながっている。記憶とか。

物語を作る人はそれを心の目で視て描き出す。物語の事実性はどこにもないのだけれど、真実性はあるのだと。

そして、描く人の力量がすごいときには、読む人々はその真実性、つまり、生まれる前からの記憶の中にある普遍の哲学のようなものがまっすぐ心に届く。届くというか、思い出すような、思い出しはしないけれども、どこかでデジャヴを感じると思う。書き手と同じように感度の高い人はしみじみとそれを味わう。

 

 

 

これね、

飛び出しとびたくんを見ていて思ったことなんだよ。

 

泣きも笑いもしない彼。

不愛想で、きっと頑固なんだろうなと思うも、

そういうやつに限って心根は正直で真摯だったりするかもしれない。

 

人間以外の、下等と呼ばれるものたちほど、曇りなく自分の感情に正直に生きている。

それに比べて私たちは、非常に悩みが多い。

 

それはきっと、この文明が病気だからなのかもしれない。

 

もし、神様がそんな病気になったら

それはそれは、私たちよりもたくさん苦しむんじゃないかなあと

きっと大変だろうなあと

妄想したりして。

 

まあ、神様が病気かどうかはわからないけどね

 

あ、でも、私たちの文明が病気なのッて、

もしかしたら神様が少し悩んでいるから?

だったりするのかなあ。

 

悩み事があるなら聞きますよ?と言ってみたいたいけれど

理解できないんだろうなあ。

よしよしヾ(・ω・`)してやりたい。

 

犬と飼い主みたいな関係になれたりするかもね

 

 

 

 

 

 

ははは

なんだか家族が増えたような気持のする夜だったな。笑