冷電気を探して。

目の前にあるものが宇宙です。空だけじゃない。

ZPE ゼロポイントエネルギー

フリーエネルギーの別の名前としてゼロポイントエネルギーという語が使われることがある。ゼロポイントエネルギーはフリーエネルギーと同義ではない。

フリーエネルギーという語はおそらく、無尽蔵のエネルギーを自給することができるという思想や概念をひとくくりに言ったものだと思う。とはいえ、太陽電池や風車による発電、環境資源を捕まえて発電することはこれにはあまり入らないのではないか。例外なく現代物理にとっては未知の媒質の効果によってエネルギーが供給されているものだ。

一方で、ゼロポイントエネルギーという言葉は、実はWikipediaに載っている事柄である。

零点エネルギー - Wikipedia

これは一部、公式の物理学で認められているものだ。名前の由来としては、絶対零度の粒子にみられるエネルギー、といったところだろうか。

絶対零度 - Wikipedia

絶対零度では分子の熱振動が止まる。というか逆に、温度というものは粒子の熱振動を基に決められているらしい。だから、振動がとまったところ、止まるであろう振動のグラフの収束点を絶対零度としているのだが、実際にその温度を観察したときに振動は止まらなかった、ということなのだろう。このときに粒子にあらわれていたエネルギーをゼロポイントエネルギーと名付けたのだ。

 

このゼロポイントエネルギーは、核エネルギーよりもエネルギーの密度がずっと高いのだそう。1キログラムの質量を核エネルギーに換算すると8*10の16乗ジュールという数字になる。よくわからん。一方で、ゼロポイントエネルギーの方は握りこぶしほどの空間に地上の水すべて沸騰させるエネルギーがあるという記述を目にしたが、これを真に受けると、2*10の27乗ジュールということになるらしい。すごそう。

16乗と27乗では桁が11個違う、恐ろしい。1キログラムと握りこぶしで若干比較が違うけど、桁が10も外れるような差ではない。エネルギー密度が違うというのはこのことだ。

この、ゼロポイントエネルギーをどうにかして抽出し、利用しようというのがフリーエネルギーなのである。これこそがフリーエネルギーなのである。

もちろんのことながら、公式の科学会ではフリーエネルギーなど認められていないということは、ゼロポイントエネルギーの存在を確認したとしても、それを利用することは到底不可能だといっているということなわけだが、いろいろ議論が巻き起こっているらしい。

 

エネルギーが存在することと、それが利用可能かは確かに別問題だ。

熱力学の第一法則としてエネルギー保存の法則があるが、これは仕切られた領域内での全エネルギー量は、出たり入ったりしなければ変化しないというものである。当たり前といえば当たり前の話だ。

エネルギーは増えたり減ったりしない、それならばなぜエネルギー問題と銘打ってエネルギーが枯渇するなどと言っているのか。それは利用可能なエネルギーがどんどん利用不可能なエネルギーに変わっていっている、使ってしまった分のエネルギーを再生することができないというところが問題になっているからである。

第一法則に続いて第二法則にエントロピー増大の法則というのがあるが、これも話としては大事な存在だ。何を言わんとしているかというと、覆水盆に返らずといったところか。エントロピーとは無秩序の度合いのことだが、例えばコーヒーとミルクがあったなら、コーヒーとミルクが別々に安定して存在しているのが秩序があるということで、この二つは合わせてしまうと混ざり合ってミルクコーヒーになってしまう。二つが混ざり合って一つになった液体は、無秩序と言い表される。

無秩序の度合いが増大する法則というのはつまり、コーヒーとミルクが混ざり合うことはあってもミルクコーヒーがコーヒーとミルクに分かれることはないということを法則として言っている。先のエネルギーの話で言えば、利用可能なエネルギーが利用不可能なエネルギーになることはあっても、使ったエネルギーはもうもとには戻ってこないというところだろう。なんとも絶望的な法則だ。死んだ者は生き返らない。

 

ここで、フリーエネルギーはこの第二法則に異を唱える。エネルギーは再生可能だ。

私の提案だが、私たちの生活に欠かせない、水を考えてみよう。毎日毎日、水を飲んでは、おしっことして(今ではトイレに流しているが)土や海に還す。大地に還った水は、蒸発して空を漂い、雨になって川を流れる。あるいは地下水となり、土中でろ過されて、私たちはこれらをまたきれいな水として利用できる。水は循環している。

覆水盆に返らずと先に出したが、なんてことなく元の盆に水が返ってきているのだ、大地の力を通して。

水の利用量が大きくなっても、浄水装置を家庭に置けば、水資源は自給できるということになる。浄化したい水は海や川や湖、雨水のタンクから持ってきてもいいだろう。

これはエネルギーにも適用できる構造なのではないか、と思った。

空間に発散された熱エネルギーや、ゼロポイントエネルギーを何らかの方法で”浄化”できれば、私たちはエネルギーを自給できる。もっとも、水にしてもエネルギーにしても、大地の浄化システムが追い付かないほどに無駄遣いしている現状もまた問題だと思わないでもない。私はバカみたいな使い方をしておきながら、足りない足りないと泣き喚くことが許されることだとは思っていない。が、その話は一旦置いておく。

ゼロポイントエネルギーを捕まえて、利用可能なエネルギーとして抽出するのがフリーエネルギーの技術的な概要である。イメージとしては、広大な海の水を飲み水に変えるために浄化するようなものである。

だが、具体的に何に対してどのように働きかけることが重要なのか、またそれはどうしてなのかということは、私はあまりしっかりとはわかっていない。