冷電気を探して。

目の前にあるものが宇宙です。空だけじゃない。

辛くても野球部を辞めなかった。

私は五人兄弟の末っ子だ

とてもかわいがられた

かわいがられることがうれしかった。

男の子なのに。

まあそれはいいとして

 

兄4人とも野球部に所属し、長男が火付け役となって次男、3、4と野球に熱中していた。

そして少し年が離れた末っ子の私、他と比べてもなかなかに内向的でいつも上の空で競争が苦手な少年だけど、

流れに身を任せて「おれも野球部に入る!」と小6から入部。

運動は好きだったけど球技に関しては音痴、へたくそだった。

 

チームの中では年長だったけど、能力はないし、戦力にもなっていないしムードメーカですらなかった。

自分の存在価値が見いだせず、少しいじめられもした。

監督やコーチは怖いし失敗すると怒られてさらに怖かった。

楽しいことなんてバーベキューくらいしかなかった。

 

野球がうまいわけでもなく野球の楽しさもわからず、やめたら格好悪いなという後ろめたさだけでなんとか一年がんばった。

小学生時代はまだ優しいほうであった。

 

 

 

 

中学生になって

小学校から野球部を継続。

顔見知りの同期と一緒に部活を始めたけれど、野球のセンスが全くなかったし野球の頭脳も皆無の私は浮いていた。はっきり言って野球に興味はなかったが、グダグダの運動部に入るよりも少しきついけどかっこいい部活に入りたかった。

クラスでも浮いていた。

部活以外で野球部の同期と関わることはなかった。

少し話の合う一個上の先輩はいたけれど。

 

父兄のコーチが来て練習の指導をしてくれていた。

でも、そのコーチはとても嫌だった。

他の部員、野球のうまい子とは楽しそうに冗談を言い合うくせに、私にはそういうものはなかった。

きっと「繊細な子」とは思われていたのだろう。そういう絡みは不慣れだからやらなかったのかもしれない。

三振したら、冷たく睨まれ、バッティング練習でボールだと思って何球も連続で見送ると、「もうやらなくていい」と突っぱねられた。

何を言っても言い訳にしかならないのかもしれないが、ボールとストライクを見分ける選球眼がない人にとって、どうすることもできないもどかしい気持ちになった。打てないとわかっても一球に数えて空振りしなきゃいけなかったのだろうか。

 

コーチが怒っていることはわかっても、自分の何が気に食わなかったのか、どうすればよかったのかということを誰かが説明してくれるということもそうなく、考えて考えて、怖くてただただ怖くてしょうがなかった。

それでも3年続けた。

一度も試合に出ることはなかった。メンバーは多くないのに。

 

 

 

やべえ泣きそうだ、あの頃を思い出す。

あんな気持ちだったんだなあ。よくがんばったなあ。